お別れ火鍋パーティー

僕の住んでるマンションから徒歩1分圏内に火鍋屋さんが3店舗もあります。そのうち一店舗はマンションの中にあります。大連に来てから火鍋がここまで身近な存在になるとは。。
で、大連の火鍋はというと上海や日本のものとは違い、麻辣湯のスープがそんなに辛くありません。そしてダシがしっかり効いている感じです。僕はこっちの味の方が好きですね。

今日は短期体験生の最後の出社日で、皆でお別れパーティーでした。
途中、隣の席で盛り上がっている中国人が、酔ってビールを注ぎに来てくれたんですが、どうやらその人が軍人だったらしく、自分達が日本人だと知るとものすごい形相で話し始めました。軍人の方だったからかもしれませんが、多分日本は悪だという教育を受けてきたんだと思います。現に日本はだいぶ悪いことをしてきた訳ですから。。(人それぞれ意見はあるとは思いますが)

インターンという厳しさ

今回の職場には1年滞在する人と1ヶ月の短期体験生がいます。
短期の方達はここ2,3日で仕事が終わり、みんな日本に帰って行きます。僕はその中でも37歳の人が特に印象に残っていて、今日も一緒に夕食を食べました。
彼のすごいところはダメでも勢いで押すところ。これは自分にない部分で、身につけたいといつも思っていることでもあり僕は尊敬しています。でも何も考えずに勢いまかせのところがあり周囲の目は冷たいし、実際の営業業務でも結果が伴っていない。もちろん会社は結果しか見ない訳だけど、なぜ会社はこうも人の悪いところばかりを見るのだろうかと思う。完璧な人間なんていないんですから。
仕事での結果は残していないものの、中国語に関しては貪欲で、気がついたら掃除のおばさんと中国語の練習をしていたりする。彼が一年ここにいたらきっとものすごい中国語も上達するだろうし、中国人の友人もたくさんできるのだろう。現に一番中国人の心を掴んでいたのは彼だったと思う。片言でも必死に何かを伝えようとする姿勢は本当にすごいと思った。でもここはあくまで会社な訳で、結果が出せないと一年を希望してもいることはできない。これがこのインターンの難しいところなんだと思う。語学と仕事の両立というのは本当に難しい。。
僕はというと営業成績は好調とはいえ、可もなく不可もない一ヶ月を送ってしまったような気がしました。日本を出るときの志はしっかり反映されているのかというとそうは言えないなあと。。自分をいきなり変えるのは難しいことだけど、環境を変えてまで来ている以上は少しずつでも変えるべきところは変えていかないとダメなんですよね。

中国語を勉強して思うこと

中国語を勉強していて思うのが、本当に日本語に近いなあと。
ちょっとした言い回しとか。例えば町の区画も○○市○○区、、といった感じで同じなんですよね。発音は違っても同じ漢字というのは知れば知るほどゾッとするくらい不思議に感じるものです。
じゃあ、
日本語というのはほとんどが中国語の影響を受けてできたものなのか?
と考えさせられてしまいます。逆に日本語から中国語が生まれたとは到底考えられないですからね。ひらがなとかカタカナだってそもそも漢字を簡略化した文字でしたよね、確か。
漢字が入ってくる以前は日本人はどんな言葉を使っていたんですかね。
もしかして言葉自体、発していなかったとか。。
日本人ってゼロから何かを生み出すことはできないけど、何かがあればそれを応用する力が優れているのかなあと思いました。言葉もそうだし、日本を代表する家電や自動車だって、そもそも西洋の文化が発端な訳じゃないですか。でもそこから世界的なブランドにのし上がったのは応用力とかきめ細やかさが評価されたからじゃないですかね。でも自動車という概念自体は日本が生んだ訳ではないですよね。
そんなことを大連に来て思いました。